五木ひろしは、福井県美浜町出身の演歌歌手・作曲家で、本名を松山数夫という大御所です。「よこはま・たそがれ」「長良川艶歌」で知られ、NHK紅白歌合戦に50回連続出場した記録の持ち主でもあります。この記事では、妻・和由布子さんとの結婚や3人の子供、家系図のように整理した家族構成、3度の改名を経た生い立ち、引退報道の真相、そして自宅や資産の話まで、公表されている事実を出典付きで一気にまとめます。「五木ひろしの家族や現在を一度に知りたい」という方は、ここだけ読めば全体像がつかめます。
五木ひろしのプロフィール【基本情報テーブル】
まずは五木ひろしの素性を基本情報で押さえます。芸名は3度の改名を経て付けられたもので、本名とは大きく異なります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 芸名 | 五木ひろし(いつき ひろし) |
| 本名 | 松山数夫(まつやま かずお) |
| 生年月日 | 1948年3月14日 |
| 出身地 | 福井県三方郡美浜町(京都府生まれ) |
| 職業 | 演歌歌手・作曲家・俳優 |
| デビュー | 1965年(松山まさる名義・コロムビア) |
| 所属 | ファイブス・エンタテインメント(自身の事務所) |
| 家族 | 妻・和由布子/子供3人 |
本名の「松山数夫」は今もファンの間で知られた事実で、出身地は福井県美浜町とされていますが、生まれたのは父の仕事の都合で移り住んだ京都だと本人が語っています。
五木ひろしの改名歴と生い立ちをたどる
五木ひろしの大きな特徴は、デビューから売れるまでに芸名を3度変えている点です。生い立ちと合わせて時系列で整理します。
松山まさる→一条英一→三谷謙→五木ひろしの改名歴
本名・松山数夫としての芸能活動は次のように移り変わりました。
- 1965年:「松山まさる」名義でコロムビアからデビュー
- 1967年:「一条英一」に改名(ポリドールへ移籍)
- 1969年:「三谷謙」に改名
- 1971年3月:「五木ひろし」として「よこはま・たそがれ」で再デビュー
つまり「五木ひろし」は4つ目の名前にあたります。「よこはま・たそがれ」がオリコン1位の大ヒットとなり、長い下積みから一気にスターダムへ駆け上がりました。
4人姉弟の末っ子という生い立ち
五木ひろしは11歳上の姉を筆頭とする4人姉弟の末っ子として育ちました。幼少期は三重県鳥羽市で過ごし、鳥羽市立加茂小学校に通学。歌好きだった父の影響で、この頃から歌手を志したと語っています。小学校高学年の頃に両親が離婚し、母が女手ひとつで子供たちを育てたという苦労の生い立ちが、後の演歌歌手としての歩みの背景になっています。
五木ひろしの妻・和由布子はどんな人物か
五木ひろしの妻は、元女優の和由布子(かず ゆうこ)さんです。妻は結婚前まで芸能活動をしていた公人であり、結婚の経緯も会見で公表されています。
2人の出会いは1988年1月、新橋演舞場での「五木ひろし新春特別公演」での共演でした。報道によれば、五木ひろしが和由布子さんに一目惚れしてラブレターを送り、交際に発展。1988年3月14日、五木ひろしの40歳の誕生日に婚約を発表し、約1年後の1989年5月に結婚しました。結婚披露宴は当時の芸能界で史上最高額とされる5億円規模で行われたと伝えられています。
結婚後、和由布子さんは芸能界を引退して家庭に入り、3人の子供を育てました。妻は現在、夫の事務所に関わる立場とも報じられていますが、私生活の細部は公表されていない部分も多く、本記事では公表済みの範囲にとどめます。
五木ひろしの子供3人を家系図のように整理
五木ひろしと和由布子さんの間には子供が3人います。家族構成を家系図のように並べると、それぞれ歌手とは別の道を歩んでいるのが特徴です。報道で伝えられている範囲で整理します。
| 続柄 | 生まれ | 報じられている進路 |
|---|---|---|
| 長男 | 1990年頃 | 留学を経て音楽業界(海外勤務)と報道 |
| 次男 | 1992年頃 | イギリス留学を経て画家として活動と報道 |
| 長女 | 1995年頃 | 青山学院大学を卒業 |
長女は2011年、映画「ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2」の試写会に五木ひろしと一緒に登場して話題になりました。子供たちは基本的に表舞台に立つ仕事ではないため、本記事ではプライバシーに配慮し、公表・報道された範囲のみを扱い、現住所など私的な特定は行いません。3人とも歌手は継いでいない、という点が「五木家の子供」を知りたい読者の最大の関心どころです。
五木ひろしの引退報道の真相は?病気と現在の活動
「五木ひろし 引退」という検索が多いですが、これには確定情報と誤解が混在しています。事実と噂を分けて整理します。
引退ではなく「紅白卒業」が真相
五木ひろしは2021年、第72回NHK紅白歌合戦を最後に紅白への出場を区切りとすると表明しました。これは歌手活動そのものの引退ではなく、紅白という番組からの卒業です。連続出場50回は歴代最長記録で、その締めくくりとしての判断でした。以降はももいろクローバーZ主催の「ももいろ歌合戦」などに出演しています。
2025年の体調不良と復帰
2025年7月、五木ひろしは体調不良で入院し、慢性閉塞性肺疾患・気管支炎と診断されたと報じられました。一時は公演を中止しましたが、約2週間後の7月下旬にステージへ復帰しています。脳梗塞などの一部の噂はデマとされ、公式に裏付けられていません。健康に関する情報はデリケートなため、公式発表や信頼できる報道のあった事実のみを記載しています。
デビュー60周年と現在の活動
テレビ露出は減ったものの、五木ひろしはコンサート活動を継続中です。2025年11月にはデビュー60周年を記念して横浜アリーナで大規模イベントを開催。2026年は「よこはま・たそがれ」発表から数えてのアニバーサリーツアーが予定されており、「生の歌を届ける」活動に重点を置いています。
五木ひろしの自宅と資産はどのくらい?
大御所だけに「五木ひろし 自宅」「資産」も関心を集めますが、ここは推測が多い領域なので慎重に扱います。
自宅は東京都大田区・田園調布の一帯にあるとされ、長年住んだ住居を建て替えたと報じられています。複数台を停められるガレージ付きの邸宅と伝えられますが、番地など詳細な所在は公表されていないため本記事では触れません。
資産や年収については、本人や事務所からの公表はなく、メディアが報じる金額はいずれも推定にすぎません。レコード大賞「大賞」2回(1973年「夜空」・1984年「長良川艶歌」)、金賞10年連続といった実績や、自身の事務所を経営する立場から相応の収入が推測されるものの、具体的な数値は確認できていません。数字を断定する情報には注意が必要です。
五木ひろしのQ&A
五木ひろしの本名は?
本名は松山数夫(まつやま かずお)です。芸名「五木ひろし」は1971年から使われている4つ目の名前で、それ以前は松山まさる・一条英一・三谷謙と名乗っていました。
五木ひろしの妻は誰?
妻は元女優の和由布子さんです。1988年に舞台で共演したのがきっかけで、1989年5月に結婚しました。
五木ひろしの子供は何人?
子供は3人(長男・次男・長女)で、いずれも歌手は継いでおらず、音楽業界・画家・大学卒業後の進路など、それぞれ別の道を歩んでいると報じられています。
五木ひろしは引退したの?
歌手を引退したわけではありません。2021年の紅白歌合戦を最後に紅白から卒業しましたが、2025年・2026年もコンサート活動を続けています。
まとめ
五木ひろしは、本名・松山数夫として3度の改名を経て「五木ひろし」となり、「よこはま・たそがれ」で大ブレイクした演歌界の大御所です。妻は元女優の和由布子さん、子供は歌手を継がなかった3人で、紅白50回連続出場という金字塔を打ち立てました。引退報道は紅白卒業の意味であり、体調不良からも復帰して現在も歌い続けています。素性やゴシップだけでなく、半世紀を超えて歌を届け続けるその活動こそが五木ひろしの本当の見どころと言えます。
※本記事は公式サイト・Wikipedia・各種報道など公表情報をもとに作成しています。家族・健康・資産に関する数値や私的情報は、確認できた範囲のみを記載し、推測は推測として明記しています。

コメントを残す